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ダートマス()は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州の南部、ブリストル郡の南部、大西洋岸に位置する町である。2010年の国勢調査では人口34,032 人だった。ニューイングランド海岸部にあり、ノースダートマスとサウスダートマスの2つに分けられる。ダートマス自体は、パダナラム・ビレッジやラッセルズ・ミルズなど歴史ある海岸のビレッジ、ブドウ園、農園のつながりで構成される農園海岸ニューイングランドに属している。2014年に町として法人化されてから350周年を祝った。マサチューセッツ南部海岸(ソーコー)にも属している。地元日刊紙は「サウスコースト・トゥデイ」であり、季刊雑誌は「ソーコー」である。 ノースダートマスは、モール、映画館、バーンズ・アンド・ノーブル書店など多くの小売チェーンストア、多様なレストランのある、大部分が大型商業地区である。食文化ではポルトガル、インド、イタリア、タイ、中国などの料理が楽しめ、また多くの標準的アメリカ料理もある。 如何なる水路にも接しない陸封の地であり、シルバーブルック・コミュニティ・スポンサード・アグリカルチャーやラニング・ブルック・ビニヤードとワイナリー(サウスダートマスのコースタル・ビニヤードもある)などの農場があり、海岸ワインツアーのコースに入っている。2010年国勢調査に拠れば、ノースダートマスの人口は24,302人、世帯当たり収入の中央値は82,403ドルである。ダートマス警察署があり、小学校は3校(クイン、ポッター、デメロ)ある。 サウスダートマスはバザーズ湾に接し、活発な漁業と船舶の町が栄えている。その海岸の沖にはマーサズ・ヴィニヤードとカティハンク島がある。パダナラムのニューベドフォード・ヨットクラブは半年毎にレガッタを開催している。特徴ある歴史的なビレッジや海岸の優れた不動産があり、多くの世代にわたって夏の保養所になってきた。サウスダートマスの中にある著名で裕福な部分はノンキット、ラウンドヒル、パダナラム・ビレッジ、バーニーズ・ジョイ、ミショーム・ポイントである。年間を通した住民が、一年中活発な季節による活動を続けている。 ラッセルズ・ミルのアルダーブルック農園が毎日解放されており、季節による変化があり、動物からペットまで楽しめ、屋内のマーケットは代金箱があって利用者の意思に任せている。毎年12月、パダナラム・ビレッジ・ホリデイ・ストロールが開催され、コスチュームを着た妖精が梯子に乗って明かりとヒイラギでメインストリートを飾り、店舗や食堂は夜遅くまで開いていて各店で楽しい行事がある。2010年国勢調査に拠れば、サウスダートマスの人口は11,320 人、世帯当たり収入の中央値は100,836ドルである。ダートマス警察と消防署があり、小学校は2校(デメロとクッシュマン)がある。 マサチューセッツ州の町の中で、面積ではプリマスとミドルボロに次いで3番目の広さである。フリータウン町との北側境から南のバザーズ湾までの距離は約16マイル (26 km) ある。 ダートマスの町の中にはヒックスビル、ブリスコーナー、パダナラム、スミスミルズ、ラッセルズ・ミルズの各ビレッジがある。西はウェストポート町と境を接し、北はフォールリバー市、南はバザーズ湾、東はニューベッドフォード市と接している。マーサズ・ヴィニヤードとカティハンク島には一日何便もシャトル便が通っている。 == 歴史 == ダートマスとなった地域に最初に入植されたのは1650年のことであり、1664年には町として公式に法人化された。ダートマスの歴史は農業と海に関連する町のものであったが、19世紀後半にその海岸線はニューイングランドの裕福な社会のリゾート地になった。 イングランドのデボンにあるダートマスから町名が採られており、そこからピューリタンがアメリカに向けて旅立ってきていた。プリマス植民地の長老達がワンパノアグ族インディアンの酋長マサソイトやワムスッタから、商品と引き換えに土地を購入していた。布30ヤード、ムースの皮8枚、斧15挺、鍬15挺、靴15足、鉄製ポット1つ、10シリング相当の品物の組み合わせが代償だったとされている〔Philbrick, Nathaniel. ''Mayflower''. Penguin, 2006. p.171 ISBN 978-0-14-311197-9〕。そこはレリジャス・ソサイエティ・オブ・フレンズすなわちクエーカー教徒に売却された。クエーカー教徒はプリマス植民地のピューリタンが定める厳格な宗教に関する法とは離れての生活を望んでいた。 現在も、スミスネック集会所、アレンズネック集会所、アポネガンセット集会所など、クエーカー教徒の集会所が残っており、アメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている。町の領域は当初の認証の中で、「アックシュニー、ポナガンセット、コークセット」の土地として名付けられ、フィリップ王によって設定されていた。これにはウェストポート、フェアヘイブン、アクシュネットの各町、およびニューベッドフォード市の土地が含まれていた。1789年、ウェストポートとニューベッドフォード(フェアヘイブンとアクシュネットを含んでいた)が分離し、それぞれが町として法人化された。 サウスダートマスにあるロイド環境研究センターは非営利組織であり、ニューイングランド南東部の水環境について教育プログラムを提供している。浅瀬のある州立海浜として人気があるデマレスト・ロイド州立公園のスローカムズ川の河口を挟んだ対岸にある。 サウスダートマスにあるダートマス自然資源信託は1,500エーカー (6 km²) 以上の保護地を持ち、全長35マイル (56 km) のハイキングトレイル、大洋と川のウォーキング、写真撮影ツアー、夏の屋外ヨーガ・シリーズ、バードウォッチング、植物の識別を行っている。夏の夜のバーン・バッシュと冬の資金集めオークションが毎年行われている。 ラウンドヒルは20世紀の初期から半ばに、マサチューセッツ工科大学の研究者が飛行と通信のために、ラジオと短波の利用を研究した場所である。また、エドワード・ハウランド・ロビンソン・グリーン「大佐」の敷地であるグリーン邸宅があった場所でもある。グリーンは特徴ある性格であり、さらに特徴があり非常に奇抜だったヘティ・グリーンの息子だった。ヘティは当時世界で最も金持ちな女性と言われ、「世界一のけちんぼ」だとしてギネスブックにも載せられている。 1936年、大佐が死亡し、資産は荒廃し、その莫大な資産を巡って、彼の妻と姉妹との間で訴訟が8年間続いた。最終的に、大佐の姉妹であるヘティ・シルビア・ウィルクスが唯一の相続人とされた。1948年、ウィルクスがマサチューセッツ工科大学に全資産を遺贈し、工科大学はそれを短波とレーザーの実験のために使った。バザーズ湾を行く水夫にとっては目印となった巨大なアンテナが、5万ガロン (189 m3) の給水塔の上に建てられた。このアンテナは保存のための行動が行われたが、2007年11月19日に解体された。 別のアンテナが邸宅に隣接して建てられ、弾道ミサイル早期警戒システムの開発に使われた。マサチューセッツ工科大学は1964年までラウンドヒルを使い続けていた。その後ニューイングランドのイエズス会に売却され、静養所として使われた。2階は64の個室に分割された。1階は礼拝堂、図書室、集会室が付けられた。1970年、イエズス会は土地と建物をグラティア・R・モンゴメリーに売却した。1981年、モンゴメリー夫人が土地の大半を、歴史、雄大な自然環境を残そうと動いた開発者集団に売却した。この土地には現在ゲイトが設けられ、水際の夏の住人の町となり、9ホールのゴルフコースもある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダートマス (マサチューセッツ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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